レンタルCGI アクセスランキング フェンリルの遠吠え 2011年04月
フェンリルの遠吠え
不定期にその時に起こった出来事を語ったりしてます。。。
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東日本大震災 GWでボランティア大集結 受け入れ中止も

東日本大震災の発生から50日目となった29日、大型連休を迎えた被災地には首都圏などから大勢のボランティアが次々と訪れた。各地の社会福祉協議会などによると、この日のボランティア新規登録者は判明分だけで4200人以上。日本全国だけでなく、ミャンマーからの難民も被災地に入り、復興に向け汗を流した。ただし、大きな被害を報じられた場所にボランティアが集中する一方、沿岸部の家屋の片付けは進まないなど、支援の「ミスマッチ」も課題として浮かんだ。

毎日新聞




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「今こそ地元紙の使命を」被災者のため書き続ける岩手の女性記者

 東日本大震災後、被災地では日々変化する生活情報が欠かせず、地域に密着した地元紙の役割は大きい。岩手県大船渡市の「東海新報」の記者、鈴木英里さん(31)は、津波で自宅を失いながらも「かけがえのない故郷に、自分より困っている人が大勢いる」とペンを走らせ続けている。

 ■津波が持ってった

 3月11日。午前中に街の話題などを取材した鈴木さんは、会社に上がって午後に原稿を書き終えたちょうどその時、震度6弱の激しい揺れに見舞われた。

 「これは津波が来る。写真を撮りに行かなければ」。社員の念頭にあったのは、つい2日前の3月9日にあった津波だった。漁業被害は大きかったものの、陸地にまで被害はなかった。「今思えば甘い気持ちだった」と鈴木さん。

 同市三陸町越喜来(おきらい)へ向かう途中、顔見知りの高齢者や介護職員らを荷台に乗せた軽トラックが通りかかった。皆、顔面蒼白。「何があったんですか。建物はどうですか」と呼びかけると、「流れてます!」の一言が返ってきた。

 その言葉の意味がよく理解できないまま、車で峠を下った鈴木さんの目に、木立の間から信じられない光景が飛び込んできた。

 「見慣れた風景は跡形もなかった。すべてがなくなっていた。津波だと頭では分かったが、とてものみ込めなかった」

 車を降り、高台で立ちつくす中年の女性に「これ、津波ですか」と聞くと、女性は「持ってった。全部、津波が」と言ったきり、泣き崩れてしまった。

 被害を記録しようと、夢中でシャッターを切った。ただ、呆然とした人々の表情は撮れなかった。「私も地域の人間で、自分が撮られたら嫌だろうと思うと、どうしてもはばかられて」

 携帯電話は通じず、会社への道路は流出物の山で寸断。写真を社に届けることができない。鈴木さんは帰社を諦めた。

 「会社では私、死んだと思われてるかもしれないな…」

 そのころ会社では、自家発電を頼りに、社に戻れた社員らが号外を編集していた。2千部をカラーコピーで印刷し、翌朝、社員が手分けして避難所などに運んだ。

 ■見出しに「希望」を

 鈴木さんは翌12日に出社できた。任された仕事は、写真を大きくレイアウトするグラフ面の編集だった。

 「爪痕無残…各地で深刻被害」。鈴木さんがこの日つけた見出しだ。

 4日後、17日付のグラフ面では、一転してこんな見出しを添えた。「“私たちは負けない”『生き抜こう』懸命の被災者ら」

 鈴木さんは「報道が被災者の心に塩を塗ることになっていないか。せめて見出しだけでも希望を」と、心境の変化があったと話す。

 同社では、社員が避難所を分担し、掲示された避難者リストを撮影しては会社に戻り、片端から記事に打ち込む膨大な作業を続けた。ほかにも、身元不明遺体情報、生活情報、避難所の状況などを連日、綿密に記事化してきた。

 「地元紙だから、どこに行っても取材したことのある方や、その知り合いばかり。生きていてくれたのがうれしく、私のことも『無事だったの』と喜んでくれる。取材に私情が入るのがいいのかは分からないけれど、自然と明るい記事を書きたくなる」と鈴木さん。

 卒業式で元気な表情の子供たち。無事出産した女性。市街地から離れた公民館でも協力し合って避難生活を送る人々…。記者の温かい気持ちは紙面に反映されていった。

 ■涙で見えなくなる

 鈴木さんの自宅も津波にのまれた。「私より困っている人がはるかに多い。つらいという気持ちはない。今こそ記者の役割を果たすときだと感じている」。そう話す一方、「毎日涙で前が見えなくなる。仕事中に泣くなんて社会人失格。でも、悲しくて泣くこともあるけれど、うれしくて泣ける方が多い」とも。

 東海新報は4月1日から順次戸別配達を再開している。地域に溶け込み、生活を支える地元紙。「そのことは、これまで頭では分かっていたつもりだった。でも、3月11日を境に、実感として初めて胸にストンと落ちた」と鈴木さんは語った。

産経新聞



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避難区域から引っ越せない…業者の拒否相次ぐ

東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、1か月後までをめどに避難を求められている福島県の計画的避難区域で、住民が引っ越しの依頼を業者に断られるケースが相次いでいる。

 引っ越し業者側は「社員の安全を考えると作業させられない」などとしており、現在、6000人以上とされる5市町村の計画的避難区域にいる住民の移動に支障が出る恐れもある。

 「『避難しろ』と言われて避難できないなんて。見殺しにするんでしょうか」

 村全域が計画的避難区域となった飯舘村の女性(50)が23日、大手業者の電話受付で住所を告げると、担当者に「現在、作業不可地域とされております」と言われた。食い下がっても、「やはり原発等の影響があるかと思われます」「社内的に決まっていますので」と断られた。別の大手業者にも同様に拒まれた。

読売新聞



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「帰宅に罰則なんて」…警戒区域に避難者困惑

福島第一原発の20キロ圏内を新たに「警戒区域」とし、住民の立ち入りを制限するとした21日の政府の発表に、対象となる福島県の避難者からは「条件が厳しすぎる」「いつ立ち入れるのか」と困惑する声が相次いだ。

 自宅に自由に戻れなくなり、罰則規定も設けられるだけに、「帰宅するだけで罰せられるなんて」と嘆く声も漏れる。

 「1世帯1人に絞り、持ち出し品は必要最小限。在宅時間は最大2時間」。枝野官房長官は21日午前の記者会見で立ち入りについてこう述べ、「安全確保に万全を尽くし、早期に実施する」と強調した。

 福島県田村市の避難所で暮らす同県大熊町の建設業泉田美和さん(58)の自宅は、福島第一原発から約10キロ離れている。一時帰宅の条件について「家財道具の持ち出しには1世帯1人じゃ、なんともなんねえ。神経質になりすぎじゃねえか」と不満を口にした。

読売新聞



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.布袋寅泰の願い「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じ」

ギタリストで歌手の布袋寅泰が20日、自身の公式ブログで「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」との思いを明かした。氷室京介が「全編BOOWY」ライブを発表したことを受け、布袋もまた同日のツイッターで「今日は一日中同じ質問やリクエストを浴びるのでしょう。僕の気持ちを察してもらえないのは淋しいことです。Twitter、今日は休憩」と綴ってからその動向が注目されていたが、ついに自ら沈黙をやぶった。

これまで氷室と布袋の不仲説をはじめ、さまざまな噂や憶測が広まっていたが、伝説のバンド・BOOWYの再結成を布袋自身もまた望んでいたことが明らかになった。

 発端は18日早朝、東日本大震災を受け、氷室が6月11日に東京ドームで予定していた自身の50歳のアニバーサリー公演を全編BOOWY楽曲によるチャリティーライブに切り替え、収益金全部を寄付するとメディアを通じて発表。報道で情報を知ったドラムの高橋まことが「何かやってくれると思っていましたので良かったです」と全面的に賛同するコメントをブログで発表したが、ベースの松井常松はチャリティーとその行動には賛辞を送る一方で、「でも、少し寂しい。どうして、声を掛けてくれなかったのか」と複雑な胸中も吐露した。「バンド時代の曲を演奏するというならば、微力ながらも協力したかった」と。

 そして布袋自身がツイッターで冒頭の「僕の気持ちを察してもらえないのは淋しい」と残した一文が誤解を招いたのか、ファンからは布袋に参加を呼びかける声が各サイトやSNSに多数寄せられた。その上で布袋はこの日のブログで「語らぬことで自分の気持ちが不本意な形で伝わってしまうならそれは語らぬ自分の責任です。ここではっきり申し上げるべきでしょう」と前置きし、BOOWY再結成を望んでいたと初めて認めた。

 それが恒久的な再結成かどうかはさておき、氷室が「勇気づけるにはBOOWYの楽曲を」と考え、松井が「こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った」のと同じように、布袋自身もまた「大震災直後、被災地の皆さん、そして復興に向け力合わせる多くの皆さんに自分の持つ力を最大限に発揮し貢献できるとしたらそれはBOOWYの再結成しかない」と考えたという。ところが「残念ながらそれは叶いませんでした」と無念の内を明かし、布袋サイドから氷室に再結成を呼びかけていたのが水泡に帰したか、氷室から何も相談がなかったことを示唆している。

 ただし、布袋も今回のチャリティーは松井や高橋同様に賛同している。「どうぞ誤解しないで下さい。氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」。と同時に「自分の中で踏ん切りがつきました」とも綴っており、布袋の中である決意が固まったことも示唆している。

 過去は否定せず「これからもBOOWYのギタリストであったことを誇りに沢山の皆さんにパワーを与えられるよう力の限り自分の音楽を奏で叫び続けてゆくつもりです」と改めて表明。バンドは「メンバー4人だけのものではく、ファンの皆さんのもの」とし、「それぞれの思い出と共に、いつまでも色あせる事なく皆さんの心の奥で熱いBEATを打ち続けることを信じ、祈っています」と結んでいる。

 6月11日には解散後初めて、23年ぶりに全編BOOWYナンバーを歌う氷室。歌声、楽曲とともに自身の口から語られるその“真意”も注目される。

オリコン



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つくば市、福島からの転入者に放射能検査要求

茨城県つくば市が、東京電力福島第一原発の事故で福島県から避難して転入する人たちに、放射能汚染の有無を確認する検査を受けた証明書の提示を求めていたことが18日、わかった。

 市側は「市民に無用な不安を与えない目的だった」としているが、転入者からの抗議を受け、検査を求めないことにした。

 つくば市によると、市民課長名で3月17日、福島からの転入者にスクリーニング検査を求めることに決め、担当する窓口へ通知した。窓口の担当職員が、転入者に消防本部や保健所で検査を受け、証明書をもらうように指示するなどしていたという。原発事故が起きてから、つくば市には福島県いわき市などからの住民が避難している。

 今月11日、つくば市内の研究機関に就職するため仙台市から転居してきた男性(33)が証明書の提示を求められ、このことを茨城県に訴えたことから問題が発覚した。つくば市の岡田久司副市長は、「放射能汚染について、誤解があったと認めざるを得ない」と釈明した。

読売新聞



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警察官の死者22人に=安否不明は8人―警察庁

東日本大震災で、警察庁は16日、住民の避難誘導に向かい、津波にのまれた福島県警双葉署地域交通課の古張文夫巡査部長(53)の死亡を確認したと発表した。これで殉職した警察官は22人となり、依然として8人が安否不明となっている。
 同庁によると、福島第1原発の半径10キロ圏内を捜索中の県警機動隊員が15日午前、同県浪江町請戸の水田で古張巡査部長の遺体を発見した。 

時事通信




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「子供が心配」福島ごみ処理支援で川崎市に苦情2千件超

川崎市の阿部孝夫市長が東日本大震災で被災した福島県を訪問し、がれきなどの災害廃棄物処理の協力を申し出たことに対し、2000件を超える苦情が市に寄せられていることが13日、明らかになった。

 阿部市長は7日、福島県庁で佐藤雄平知事と会談。被災地支援の一環として「津波で残ったがれきなど粗大ごみを川崎まで運び、処理したい」と申し出た。このことが新聞などで報じられた8日以降、川崎市のごみ処理を担当する処理計画課などに「放射能に汚染されたものを持ってくるな」「子供が心配」といった苦情の電話やメールが殺到。中には阿部市長が福島市出身であることを挙げ、「売名行為だ。福島に銅像を建てたいだけだろう」というものもあったという。

 川崎市は「放射能を帯びた廃棄物は移動が禁止されているため、市で処理することはない」と説明。市のホームページでも安全性や理解を呼びかけている。

産経新聞



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仙台から
仙台に来て5日経過しました。

来た当初は段々と元の生活に戻りつつある風景を

見ながら、ちょっとホッとした気持ちでいました。



ですが・・・


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行ってきます
来週仙台に行く事になりました。

震災が起こってから家族や親戚の無事は知っているものの

実際にこの目で元気な姿を確認してきます。



今自分の周りは震災前のそれと変わりない状態です。

被災地でも少しでも早くその状態に戻って欲しい。

その為に出来る事を一つでもいいからやっていこうと

思います。

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